2011年9月5日月曜日

JG5日目『かかわり方のまなび方』

JustGivingチャレンジ、あっという間に5日目です。何とかビハインドを取り戻しました・・・といっても朝ですが。。。

今回はちょっと趣向を変えて、NPO/ソーシャルセクターの若手にも絶大な人気を誇る、働き方研究家・西村佳哲さんの著書。本の形態に合わせてシェアの形式も「スライド」から「ブログ」へと変更してみました。

前回までのテーマで2回ほど人にプレゼンをしてみて感じたのですが、やはり要点をまとめただけのスライドでは、自分の思考が入る隙間がなく、単なる「まとめ作業」になってしまいかねません。

それはそれで、意味のあるアウトプットなのかもしれませんが、見る人にとっても補足なしのスライドだけでは分かりにくいですし、全てを包括出来なくても自分の言葉で伝えてはどうか と、少し別の方法も試してみることにしました、スライドに戻る可能性も含め、今後も少しずつより良い形を模索していきます。


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1)かかわり方=あり方

この本の本質は、その表紙に既に全て集約されているように思う。

正式な本のタイトルとしては『かかわり方のまなび方』だが、その帯には大きな字で『learning being』と書いてある。もしこれを再度邦訳すると『あり方のまなび方』だ。

「あり方」という表現には、どこか受動的・消極的ともいう印象がつくかもしれない。
実際に「まえがきのまえがき」で紹介されている、電話相談による自殺防止活を行う西原由記子氏は、「生きるためのアドバイス」や「問題の解決方法」まして「自殺を思いとどまらせる」などという、ある種積極的な他人の人生への介在はしない。

ただ、寄り添い、耳を傾け、聴く、受け止めることに全霊を注ぐ。電話の向こうの、顔も知れない相談者の素性をこちらから尋ねることもしない。
それは彼女の言葉にすると、「自分が落ち着きたいだけの質問はしない」とのこと。

好んで死に向かう人はいない、死にたいという強い感情を持ち、と同時にどこかで迷っている、引っかかりがある、助けを求めている。
時には、いや想像するに多くの場合は言葉にならないと思われる、それらの感情を、西原氏は受け止め、感じ、正直に応答する。その結果、「死にたいという感情や決断を尊重する」つまり、死に向かう相手すら認めるという心持ち(時には発言)になることもあるのだという。
これは、能動的な受動とでも表現できるようなことかもしれない。

もちろん、この対応は相手が「自殺してもいい」「仕方ない」という諦めの意思の表れではない。今電話の向こう側にいる、その人に死んで欲しくないという感情が、こちら側=自己のものであるという、「わきまえ」を伴った誠実さ、向き合い方、すなわち「あり方」なのだと僕は感じる。

「私たちが行っているのは、カウンセリングではなく、ビフレンディング(befrieding)です」

西原氏のその言葉には、どちらかが援助者で、もう一方が非援助者であるという意識は感じられない。
being=「いる」「ある」という言葉が、主体的な意思と責任をもって、自己ではない他者と同じラインに立つ第一歩であるという自覚を持てること。
それがこの本全体に通じる「ファシリテーション」や「ワークショップ」の大きな前提であり根底であるような気がしている。

ちなみに余談だが、ここでいう「責任」とは、「他者の思想や背景、価値観の根本に対して、当事者でない者が責任など取りようがない」という事実を知ることかもしれないと、僕は思っている。


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2)ファシリテーションの役割

著者の西村氏が、美大の教員として働いていた時の悩みに「教える」とはどのように教えるのか、何を教えるのか、という大きな命題があったそうだ。
氷山モデルとも言えるような、その説明図を以下に転載する。





仕事において、あるアウトプットが形を成すには、その足下に
「知識/技術」
「考え方/価値観」
「あり方/存在」
という段階的な階層基盤が存在するとし、更に、下に行くほど伝達が難しいと捉えた著者は、その作用手段としての「ファシリテーション」に注目するようになる。

本書の中では多くの著名なファシリテーターが紹介され、またヒアリングの形式を以て発言が掲載されている。それぞれの得意な対象分野や、手法、また参加者への「かかわり方」すらも決して一様ではない。
ただ、総じて「それは一様ではない」ということについては、ある程度共通の認識があるようだった。以下に、その理由と思われる要素について、自分の気付いた範囲で要約する。

・ファシリテーターはその「個」を明らかにし、それぞれ最適な形で正直にかかわる
・取り扱うコンテンツよりも、コンテクスト(またはプロセス)が重視である
・進む先は「場の構成員」次第であり、事前に「解」を準備できるものではない

誰しも「技術」や「理論」を軽んじている訳では決して無いが、あくまでも中心に据えられる本質は「あり方」であり、むしろワークショップの手法が、目的の範囲を超えていくこと、つまり時に誘導的な他者による自己啓発であったり、プログラムに対する必然的な予定調和であることには、「未熟な子どもが危険なおもちゃを振り回すようなもの」として批判的であった。

ファシリテーションの意味は「促進」であり、どのような方向にでも、力を発揮する。「ファシズム」の語源がそうであるように、意図する方向に、(また時に本人たちがその影響力の大きさに気付かずに)人を導いてしまう可能性があるのだという。

この問題提起から、もう一段階言葉を深めていったところに、「ワークショップ」という言葉の語源への言及があった。
教員からワークショップの技法の研究に向かったという高田研氏は、その語源の対比に「ファクトリー」があったのではないかと指摘している。

19世紀後半、アメリカの工業化の中で、システムによる管理と量産を役割とする「ファクトリー(工場)」に対し、「ワークショップ(工房)」は、自発と創造性を命題とする場であった。これはつまり「人を手段にするか、人そのものを目的にするか」と置き換えても差し支えないだろう。

人と人とのかかわり方に働きかけ、何か創造的なものを生み出す(もしくは生み出さない)手助けをする(触媒となる)ファシリテーターの「あり方」は、一つの選択肢としてここに存在するのかもしれない。


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3)場をホールドする

参加者の主体性やその場のリアルタイムに委ねる「depeds on」を見ることが出来るのが、より良いファシリテーターであるなら、その役割とは果たして何なのか?無責任となってしまうのではないか、という問いも考えられる。
これは時に組織のリーダーにおいても、当てはめることができるものかもしれない。

僕がこの本の中で最も印象に残っているのは、自然を体験するワークショップ等で、自分も積極的に輪の中に入っていってしまうという、中野民夫氏の次の言葉だ。

「ファシリテーターには場をホールドする責任がある」

参加者は全て対等である、ファシリテーターはそのパワーバランスから少しだけずれた地点におり、対等であれるように調整をし続ける。
それは、プログラムの最中の軌道修正ということだけではなく、むしろ「今日のねらいや目的の確認」「役割の確認」「注意事項」等、事前のオリエンテーションに分類されるものも多い。

これは僕のこれまでの失敗/反省経験からであるが、そのような「前提」を共有していないグループほど、何かを伝え合ったり、生み出すことが難しい。
いわゆる仕事のアウトプット成果ということではなく、「仲良くなる」ということが目的だったとしても、そこに構成員それぞれの所属や嗜好を把握した「紹介役」がいるだけで、コミュニケーションの滑らかさが圧倒的に変質するのは、誰しもがある程度実感として理解出来るのではないか。 

「場をホールドすることが役割だ」というファシリテーターの視座には、そこに参画する人の力を信じているということでもあるように僕は思う。

再び手前味噌になるのだが、教育の分野で学んだ大学時代のまとめに「空間の教育力」というテーマを出した。
それは、いわゆる「面と向かって行う教育」ではなく、また「背中で伝える教育」でも無い。あくまでその人の周囲を構成する要素=空間環境が定義されることで、人は自発的に成長していく、という考え方だった。(但し、もし今言葉を置き直すなら「教育力」というよりも「影響力」にするだろう)

これはもちろん、ハード面/ソフト面両面での空間環境であり、その要素には、部屋の間取りから明るさ、一緒にいる人、その表情、ということまで含まれる。
但し、その時の自分にはなかった気づきは「自分自身そのもののあり方も、まず一つ目の構成要素である」ということだ。むしろ、全体の空間デザインにおいて、自分がコントロール下における要素はそれだけなのかもしれない。


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4)想い

人は人とかかわって生きていく。望むと望まないに関わらず。
「他者は鏡である」という言葉の通り、かかわりの中でしか自分を見つめることはできない。
と同時に、自分ではない他者と完全に一致した理解を発見することもできないだろうと思う。

異なる

ということを全ての前提とし、

理解できない

ことをありのまま受容する。

コミュニケーションの上手下手というのは、実は僕たちの身体の前の方にある、目線や言葉、手の先の機能ではなく、むしろその内側の存在のあり方にこそ求められるのではないか。

そしてそこから自然に始まる「対話」が、人と人とのかかわり方の中でより良く生きる、「1+1=2より大きな豊かさを知るヒント」ではないかと感じた。


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もっと深く学びたい、読んでみたいという方はぜひお買い求めください。
筑摩書房 かかわり方のまなび方 / 西村 佳哲 著 http://p.tl/iQph

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